ペルセポリス徹底解説|なぜ世界遺産に?歴史と8つの見どころ・観光情報を紹介

ペルセポリス徹底解説|なぜ世界遺産に?歴史と8つの見どころ・観光情報を紹介

「ペルセポリスって、名前は聞いたことがあるけど一体どんな場所なの?」
「世界遺産に登録されているけど、どんな歴史や価値があるのか詳しく知りたい」

この記事では、そんなあなたの知的好奇心を満たすため、古代ペルシャ帝国の栄華を今に伝える世界遺産ペルセポリスの全てを徹底解説します。

この記事を読めば、ペルセポリスがなぜ世界遺産としてこれほどまでに重要なのか、その壮大な歴史から8つの必見の見どころ、さらには観光に役立つ実用情報まで、深く理解することができます。

世界遺産の名前 Persepolis(ペルセポリス)
カテゴリ 文化遺産(Cultural)
地域 アジア太平洋(Asia and the Pacific)
イラン(Iran (Islamic Republic of))
評価されたもの (i)(iii)(vi)
i: 古代オリエント建築の傑作(王の王のための壮麗な宮殿群)
iii: アケメネス朝ペルシアの政治・宗教・芸術的中心地としての顕著な証拠
vi: 歴史上の人物・出来事(ダレイオス1世、クセルクセス、アレクサンドロス大王)と深く結びついた記念碑的遺構
登録年 1979年

目次

2500年の時を超えて佇む古代ペルシャ帝国の栄華「ペルセポリス」とは

まずは、ペルセポリスがどのような場所なのか、その基本的な情報から見ていきましょう。世界史にその名を刻むこの巨大遺跡の概要を知ることで、その後の歴史や価値についての理解がより一層深まります。

1. どこにある?名前の由来は?-基本情報

ペルセポリスは、中東イランの南西部、ファールス州の州都シーラーズから北東に約70kmの場所に位置する古代都市の遺跡です。広大な平原に築かれたこの遺跡は、アケメネス朝ペルシャ帝国の祭儀用の都でした。

「ペルセポリス」という名前は、古代ギリシャ語の「ペルセース(ペルシア人の)」と「ポリス(都)」を組み合わせたもので、「ペルシア人の都」を意味します。イランでは、伝説の王の名にちなんで「タフテ・ジャムシード(ジャムシード王の玉座)」という名で親しまれています。

2. なぜ重要?-世界史におけるペルセポリスの位置づけ

ペルセポリスは、アケメネス朝の行政上の首都(スサやエクバタナなど)とは異なり、新年を祝う「ノウルーズ」の祭典など、重要な儀式を執り行うために建設された特別な場所でした。

広大な帝国を治めたアケメネス朝の威光を内外に示すための、特別な儀式用の都だったのです。ここには帝国全土から諸民族の代表が集い、王に貢物を捧げました。そのため、ペルセポリスは帝国の多様性と統一性を象徴する、極めて重要な役割を担っていたと考えられています。

3. イランの誇り「タフテ・ジャムシード」の今

ペルセポリスは、現代のイラン国民にとって、単なる古代遺跡以上の意味を持つ場所です。国の偉大な歴史と文化を象徴するシンボルとして、深く敬愛されています。

単なる観光地ではなく、ペルセポリスはイランの人々の誇りであり、国の歴史を象徴する特別な場所です。 1971年には、イラン建国2500年を祝う盛大な式典がこの地で執り行われました。その栄光と、後に訪れる悲劇の歴史を今に伝えるペルセポリスは、イランの人々のアイデンティティと強く結びついているのです。

なぜ世界遺産に?ペルセポリスが持つ3つの普遍的な価値

1979年、ペルセポリスはユネスコの世界文化遺産に登録されました。それは、この遺跡が人類全体にとって守り伝えるべき、他に代えがたい価値を持つと認められたからです。ここでは、その評価の根拠となった3つの登録基準について解説します。

1. 【傑作】アケメネス朝の建築・芸術の粋を集めた人類の創造的才能の結晶

ペルセポリスは、世界遺産登録基準(i)「人類の創造的才能を表す傑作」として評価されています。その理由は、他に類を見ない壮大な建築様式と、それを彩る精緻な芸術性にあります。

ペルセポリスは、古代ペルシャ人が生み出した建築と芸術の最高傑作として評価されています。 高さ20mにも及ぶ巨大な石柱が林立する宮殿や、属国からの使節団の姿を生き生きと描いたレリーフ(浮き彫り)は圧巻です。エジプト、バビロニア、ギリシャなど、異なる文明の様式を巧みに融合させ、独自の荘厳な芸術を創造した点が高く評価されています。

2. 【文明の証拠】古代オリエントを統一した大帝国の存在を示す唯一無二の証

次に、登録基準(iii)「現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」としての価値です。ペルセポリスは、歴史の彼方に消えたアケメネス朝ペルシャという偉大な文明の姿を現代に伝えています。

この遺跡は、歴史上から姿を消したアケメネス朝ペルシャという偉大な文明が実在したことを示す、他に代えがたい証拠です。 特に「アパダナ(謁見の間)」の階段に残るレリーフには、支配下にあった23の民族がそれぞれの民族衣装をまとい、特産品を携えて王に謁見する様子が描かれています。これは、当時の帝国の広大さと多様性を示す貴重な歴史資料です。

3. 【歴史的出来事との関連】アレクサンドロス大王の侵攻を物語る歴史の舞台

最後に、登録基準(vi)「顕著で普遍的な意義を有する出来事…と直接または明白な関連があるもの」としての価値です。ペルセポリスは、世界史を大きく変えた出来事の舞台となりました。

アレクサンドロス大王による破壊という劇的な歴史的事件の舞台となったことが、ペルセポリスの普遍的な価値を高めています。 紀元前330年、マケドニアのアレクサンドロス大王はこの地を征服し、壮麗な宮殿を徹底的に破壊しました。この行為は、ペルシア戦争の報復や、ペルシャ帝国の完全な終焉を象徴する目的があったなど諸説あり、歴史的な議論を呼んでいます。

ペルセポリスの歴史を物語る4つの時代

ペルセポリスの壮大な遺跡は、栄華を極めた建設から悲劇的な破壊、そして現代の再発見まで、ドラマチックな歴史を内包しています。ここでは、その物語を4つの時代に分けて辿ります。

1. 【建設】ダレイオス1世による祭儀の都の建設開始 (紀元前518年頃~)

ペルセポリスの歴史は、アケメネス朝の最盛期を築いたダレイオス1世によって始まります。紀元前518年頃、王は帝国の威信を示すための新たな都の建設を命じました。

ペルセポリスの建設は、帝国の栄光を象徴する壮大な国家プロジェクトでした。 広大な岩盤を削って巨大な基壇を造成し、その上に謁見の間や宮殿、門などが次々と計画されていきました。この建設事業はダレイオス1世一代では終わらず、息子のクセルクセス1世、孫のアルタクセルクセス1世へと引き継がれていきます。

2. 【繁栄】3代の王が60年かけて築いたペルシャ帝国の中心地

ダレイオス1世から3代にわたる王たちによって、約60年という歳月をかけてペルセポリスは完成に近づいていきました。この時代、ペルセポリスは名実ともにペルシャ帝国の精神的な中心地として栄華を極めます。

完成したペルセポリスは、帝国の権威と富の象徴でした。 新年の祭りには帝国中から人々が集い、王への忠誠を誓いました。アパダナのレリーフに刻まれた、様々な民族が列をなす姿は、まさにこの時代の繁栄を物語っています。建築や芸術は帝国の威光を示すため、最高の技術と贅を尽くして作られました。

3. 【炎上】アレクサンドロス大王はなぜペルセポリスを破壊したのか? (紀元前330年)

栄華を誇ったペルセポリスの運命は、紀元前330年に突如として終わりを迎えます。東方遠征を進めるマケドニアのアレクサンドロス大王がこの地を征服し、壮麗な宮殿群に火を放ったのです。

アレクサンドロス大王による放火は、ペルシャ帝国の完全な終焉を世界に示すための、象徴的な行為だったと考えられています。 なぜ破壊したのかについては、以下のような複数の説があります。

  • ペルシア戦争への報復説: かつてクセルクセス1世がギリシャのアテネを焼き払ったことへの報復。
  • ペルシャ支配の象徴破壊説: 帝国の精神的支柱であるペルセポリスを破壊し、ペルシャの支配が完全に終わったことを示すため。
  • 偶発説: 酒宴の席での偶発的な失火だったとする説。

この破壊により、壮大な木造の天井や装飾は燃え落ち、石造りの柱や壁だけが残されることとなりました。

4. 【再発見】廃墟から世界遺産へ-20世紀の発掘調査と保存活動

アレクサンドロス大王による破壊の後、ペルセポリスは長い間、砂と土の中に埋もれた廃墟として忘れ去られていました。しかし、20世紀に入るとその価値が再認識され、本格的な調査が始まります。

1930年代に始まったシカゴ大学東洋研究所による大規模な発掘調査が、ペルセポリスを再び世界の表舞台に登場させました。 この調査によって、壮大な宮殿の跡や無数のレリーフが発見され、その歴史的価値が明らかになりました。その後も国際的な協力のもとで保存活動が続けられ、1979年の世界遺産登録へと繋がったのです。

ペルセポリス遺跡の8つの見どころと観光モデルコース

広大なペルセポリス遺跡には、数多くの見どころが点在しています。ここでは、特に重要で見逃せない8つのスポットを、実際に遺跡を歩くような順番でご紹介します。これを参考にすれば、あなたも効率よく遺跡の魅力を満喫できるはずです。

1. 万国の門(クセルクセス門):帝国に属する諸民族を迎えた壮麗な門

遺跡の入口で訪問者を最初に出迎えるのが「万国の門」です。これはダレイオス1世の息子、クセルクセス1世によって建てられたもので、帝国の支配下にあるすべての民族を歓迎するための門でした。

門の両側には、人面・鷲の翼・牛の体を持つ巨大な守護獣「ラマッス」の像が鎮座しており、その迫力に圧倒されます。 かつては高さ18mもあったこの門をくぐり、諸国の使節団は王への謁見に向かいました。ここから古代ペルシャ帝国へのタイムスリップが始まります。

2. アパダナ(謁見の間):23の属国の朝貢レリーフは必見!

万国の門を抜けて進むと、遺跡の中心である「アパダナ(謁見の間)」が見えてきます。ここは王が公式な謁見を行った場所で、ペルセポリスで最も壮大で重要な建物でした。

特に必見なのが、アパダナの東側の階段に残る見事なレリーフ群です。 ここには、リディア人、エチオピア人、インド人など23の属国の使節団が、それぞれの特産品を携えて新年祭の行列に参加する様子が驚くほど精緻に描かれています。各民族の服装や髪型、貢物の違いを見比べるのも楽しみ方の一つです。

3. 百柱の間(玉座殿):王の権威を象徴する100本の柱が並んだ広間

アパダナの隣に位置するのが「百柱の間」です。その名の通り、かつては100本もの巨大な石の柱が天井を支えていた大広間で、主に王が軍の司令官や重臣たちと謁見するために使用されたと考えられています。

現在は柱の土台しか残っていませんが、その配置から部屋の広大さを想像することができます。 入口には王が玉座に座り、怪物と戦う英雄的な姿を描いたレリーフが残っており、王の絶大な権威を今に伝えています。ここでどれほど盛大な儀式が行われていたのか、想像力がかき立てられる場所です。

4. タチャラ(ダレイオス1世の宮殿):保存状態の良い「鏡の間」

「タチャラ」は、ペルセポリスの建設を命じたダレイオス1世の私的な宮殿です。遺跡の中でも特に保存状態が良いことで知られています。

壁面の石が鏡のように滑らかに磨き上げられていることから、「鏡の間」とも呼ばれています。 窓枠や戸口にはダレイオス1世の名を刻んだ楔形文字が残り、王がライオンや怪物を仕留めるレリーフも見られます。アレクサンドロス大王による火災の被害が比較的少なかったため、当時の建築技術の高さを間近で感じることができる貴重な場所です。

5. ハディーシュ(クセルクセス1世の宮殿):遺跡内で最も高い場所に位置する宮殿

「ハディーシュ」は、ダレイオス1世の息子であり、ギリシャとのペルシア戦争を戦ったクセルクセス1世の宮殿です。遺跡の基壇の中で最も高い場所に建てられています。

高台にあるため、アレクサンドロス大王の火災による熱被害が最も激しかった場所としても知られています。 そのため多くが崩壊していますが、残された門や壁からはかつての壮麗さをうかがい知ることができます。ここから遺跡全体を見下ろすと、ペルセポリスの全体の構造がよく分かります。

6. 宝物庫:アレクサンドロス大王が略奪した莫大な富の跡地

百柱の間の南東に広がるのが「宝物庫」の跡地です。ここはアケメネス朝が帝国全土から集めた莫大な富を保管していた場所でした。

歴史家の記録によれば、アレクサンドロス大王はこの場所から金銀財宝を運び出すのに、数千頭のラバとラクダを必要としたと言われています。 現在は建物の基礎部分が残るのみですが、かつてここにどれほどの富が集積されていたのかを想像すると、ペルシャ帝国の経済力の大きさに驚かされます。発掘時には貴重な行政文書の粘土板も発見されました。

7. 未完成の門・未完成の墳墓:帝国の突然の終焉を物語る

遺跡の北東部には、建設途中で放棄された門や王墓があります。これらはペルセポリス最後の王、ダレイオス3世の時代に造られていたものと考えられています。

これらの未完成の建造物は、アレクサンドロス大王の侵攻によって帝国が突然の終焉を迎えたことを生々しく物語っています。 もし歴史が変わっていれば、ここにも壮大な門や墓が完成していたのかもしれません。帝国の栄華と、そのあっけない幕切れの両方を感じさせる、象徴的な場所です。

8. アルタクセルクセス2世・3世の墓:丘の上から遺跡全体を見渡す絶景ポイント

遺跡の背後にある山の斜面には、岩を十字にくり抜いて造られた巨大な王墓があります。これはアルタクセルクセス2世と3世の墓とされています。

墓そのものも見事ですが、この場所は遺跡全体を一望できる最高のビューポイントでもあります。 丘の上から見下ろすと、これまで歩いてきた万国の門やアパダナ、百柱の間などの位置関係がよく分かり、ペルセポリスの壮大な都市計画を実感することができます。特に夕暮れ時の景色は格別です。

ペルセポリス観光を計画する人のための実用ガイド

ペルセポリスへの訪問を具体的に考えている方のために、観光に役立つ実用的な情報をご紹介します。事前に計画を立てて、快適な遺跡探訪を楽しみましょう。

1. ベストシーズンと服装の注意点

イランは夏は非常に暑く、冬は寒さが厳しい気候です。そのため、ペルセポリス観光のベストシーズンは、気候が穏やかな春(3月~5月)と秋(9月~11月)です。

日差しを遮るものがほとんどないため、季節を問わず帽子、サングラス、日焼け止めは必須アイテムです。 また、遺跡内は広大で足場が悪い場所も多いため、必ず歩きやすいスニーカーなどで行きましょう。女性は肌の露出を避けるため、スカーフ(ヘジャブ)と長袖・長ズボンが必要です。

2. シーラーズからのアクセス方法(タクシー、ツアー)

ペルセポリス観光の拠点となるのは、最も近い都市シーラーズです。シーラーズからペルセポリスまでの主なアクセス方法は以下の通りです。

  • タクシーチャーター: 最も一般的で便利な方法です。ドライバーと交渉し、ペルセポリスや近隣のナクシェ・ロスタムなどをセットで巡ってもらうのがおすすめです。時間や料金は交渉次第ですが、半日程度のチャーターが人気です。
  • 現地ツアー: シーラーズ市内のホテルや旅行代理店で、日帰りツアーに申し込むこともできます。ガイド付きで効率よく回りたい場合に便利です。

3. 入場料と観光の所要時間(約3時間)

ペルセポリス遺跡の入場料は、外国人観光客向けの料金が設定されています(料金は変動する可能性があるため、渡航前に最新情報をご確認ください)。

遺跡全体をじっくり見て回るには、少なくとも3時間程度の時間を見ておくのがおすすめです。 広大な敷地に見どころが点在しているため、時間に余裕を持った計画を立てましょう。特にレリーフを細かく見たい場合や、丘の上の王墓まで足を延ばす場合は、半日ほど確保すると安心です。

4. あわせて訪れたい!ナクシェ・ロスタムの岩壁墓群

ペルセポリスから車で15分ほどの場所にある「ナクシェ・ロスタム」は、ぜひセットで訪れたい重要な遺跡です。巨大な岩壁を十字架の形にくり抜いて造られた、アケメネス朝の4人の王の墓が並んでいます。

ペルセポリスを建設したダレイオス1世の墓もここにあり、その威容は圧巻です。 墓の下部には、後のサーサーン朝時代の王の勝利を描いたレリーフも残されており、異なる時代の歴史を一度に感じることができます。ペルセポリスとあわせて見学することで、古代ペルシャへの理解がさらに深まるでしょう。

ペルセポリスに関するよくある質問

ここでは、ペルセポリスについて多くの人が抱く疑問にQ&A形式でお答えします。

Q1. ペルセポリスは首都ではなかったのですか?

A1. はい、ペルセポリスは行政や政治を行うための「首都」ではありませんでした。アケメネス朝には、行政の中心地としてスサ、夏の都としてエクバタナなど、複数の首都機能を持つ都市がありました。ペルセポリスは、新年祭のような国家の重要な儀式を執り行うための、特別な「祭儀の都」という位置づけでした。

Q2. レリーフが綺麗な状態で残っているのはなぜですか?

A2. レリーフの保存状態が良い理由は、アレクサンドロス大王による破壊の後、遺跡全体が長い間、砂と土の中に埋もれていたためです。 風雨や侵食から守られたことで、2000年以上経った今でも、まるで昨日彫られたかのような精緻な姿を保っています。特にアパダナのレリーフは、発掘されるまで土に覆われていたため奇跡的に残りました。

Q3. ゾロアスター教との関連はありますか?

A3. はい、深い関連があります。アケメネス朝はゾロアスター教を篤く信仰しており、遺跡の随所にその影響が見られます。翼を持つ円盤の中に人物が描かれた「有翼円盤像」は、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー、あるいは王の守護霊(フラワシ)を表していると考えられています。 ペルセポリスは、宗教的にも極めて重要な場所でした。

Q4. 「中東3P遺跡」とは何ですか?

A4. 「中東3P遺跡」とは、中東地域にある特に有名で重要な遺跡のうち、頭文字が「P」で始まる3つの遺跡を指す俗称です。具体的には、以下の3つを指します。

  • ペルセポリス(イラン)
  • パルミラ(シリア)
  • ペトラ(ヨルダン)

これらはいずれも世界遺産に登録されており、古代オリエントの歴史を語る上で欠かせない壮大な遺跡として知られています。

まとめ:歴史の壮大な物語を体感しに、ペルセポリスへ旅立とう

この記事では、世界遺産ペルセポリスの歴史、世界遺産としての価値、そして壮大な遺跡の見どころや観光情報について詳しく解説してきました。

ペルセポリスは単なる石の遺跡ではなく、2500年前に栄華を極めた大帝国の息吹と、そこで生きた人々の物語を今に伝える、歴史の証人です。 壮麗な宮殿、王に謁見する諸民族のレリーフ、そして悲劇的な破壊の痕跡。そのすべてが、私たちに文明の栄枯盛衰という壮大なドラマを語りかけてきます。